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コラム

私がこの仕事を始めた経緯

2011年3月23日

銀行員兼アメリカンフットボール部員として、銀行へ入行したのは平成8年4月だった。

大学時代アメフトをしていたおかげで銀行は僕を採用してくれたのだと思われる。
そのアメフト部は僕なんか相手にならないほどハイレベルなアスリート揃いのチームだった。
土日祝は一日中練習とミーティング。
平日は一般行員と同様に業務をこなす。
アメフト部員だから〜といった特別扱いは一切無い。
この生活がこれまたキツイ。
今思うと一体いつ休んでいたのだろう。
このキツイ生活が嫌で転職したのでは決してないという事だけは、あらかじめ申し上げておきたい。
体力的なキツさにはめっぽう強いほうである。
ある日突然、アメフト部が廃部となった。
部員達は荒れた。
何とか存続を求めたがその声がトップに届く事はなかった。

いよいよ銀行業務のみの生活となった。
毎日、組織に褒められようと必死だった。
上司に褒められる為には何でもした。
それがお客様の為にもなるはずだと必死に思い込もうと努めた。
だがその結果、僕はお客様にも上司にも信頼されぬ中途半端な存在となっていった。
毎朝電車の中で過ごす通勤の2時間、会社に行きたくない、会社に行きたくない、と思うようになった。
「このままじゃいけない!」
「このままあと35年この生活を続けるのか。」
「もっと他に自分の良さをわかってくれる世界があるのではないか。」
「今の自分は誰の役にも立っていないのではないか。」
妻のひと言が決め手となった。
「あんた、銀行向いてないわよ。ホラ、これ見てみ〜」
渡されたのは転職雑誌。
その中に、これだ!!という記事を発見した。
『保険代理店研修生募集』
ものすごく素晴らしいことばかり書いてあり、当時の僕の悩みを全て解決してくれるではないか!
(ちなみにその記事は、東京海上のものでは無かった。)
妻は続けた。
「もし、挑戦して失敗しても私が何とかするし・・・・」
後にも先にも彼女が感動的な言葉をくれたのはこの時ぐらいか。
その後、僕は必死に保険業界の本、保険商品知識の本、成功者の記事等を読み漁った。

結論はGo!だ。
それからは即決。
銀行に辞表を出した。
「もったいない。」
「今ならまだ間に合うから辞表取消にしてもらっておいで。」
と親目線でアドバイスして下さる方々、
「お前に独立なんて出来るわけ無いだろう、バカだな〜。」
「どうせ失敗するぞ。まあ見てろよ。」
僕の反骨心を刺激してくれる傍観者達・・・
様々な人が意見をくれたがもう止まらない。

いざ、転職してみると、今までの時間がもったいなく思えて仕方なかった。
本当の意味でお客様から評価される。
信頼が得られると収入として反映されるが、信頼が得られぬ場合は即座に退場。
このサバイバル感、僕には合っていた。
組織からではなく、直接市場から評価される場が僕に向いていたようだ。

〜現在に至る。〜

銀行から学んだ良い事も多い。
今の営業ノウハウは、実は銀行時代に学んだものだ。
財務諸表の見方から新聞の読み方、挨拶の仕方まで、社会人としての大切なイロハを多く学んだのも事実である。
今となっては僕を育ててくれた銀行にも心から感謝している。
そう思えるようになったのは、全力丸の舵を握る現在が大変充実しているからに他ならない。

〜以上、私がこの仕事を始めた経緯でした。〜